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2009年12月14日 (月)

中東欧旅行 第3日目 チェコ・プラハ

 プラハと聞くと、「プラハの春」もあってか、明るく綺麗なイメージをいだく。 「黄金の都」「北のローマ」「ヨーロッパの音楽学院」「百塔の街」「建築博物館の街」と呼ばれるプラハ。 見て回る時間は余りなかったが、素敵なところなのであろう、今回の旅行で一番期待したころである。 何故そのように言われるようになったのだろうか。 まずは歴史をみておく。

 プラハのはじまりはスラブ民族によって、モルダウ河畔に6世紀に集落ができた。 その後10世紀にかけて、東岸・西岸に2つの城ができて、挟まれた地が町として発展、ユダヤ人もやってくるようになるPhoto 1346年、ボヘミア(現在はチェコの西部から中部の地方であるが、古くはポーランドの南部からチェコの北部と広かった地域)を統治していたカール1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれ、カール4世になるとプラハは神聖ローマ帝国の首都として黄金時代に入る。 このとき中欧最初の大学のカレル大学や観光名所カレル橋が作られ、プラハ城もゴシック建築となって、世界最大級の城となる。(われわれのプラハ観光はもやがかかってしまったので、写真はWikipedia他より使わせていただきました)

 16世紀になってハプスブルク家のルドルフ2世が即位し、ボスニア地方もその統治下に入って、ルドルフ王の元、芸術家や錬金術師、占い師などがプラハに大勢呼び寄せられ、プラハはヨーロッパの中心都市として華やかになった。 しかし1618年、プラハ城でのカトリック国王代理統治人の窓外投下事件を機に、カトリックとプロテスタントとの30年戦争が勃発。 30年戦争は当初宗教戦争あったが、戦争が長期化するにつれて国家間の権力闘争となっていき、ヨーロッパにおける覇権を確立しようとするハプスブルク家と、それを阻止しようとする国々との争いに展開していった。 第2段階はデンマーク・ザクセンとの戦争、第34段階はスウェーデン・フランス戦争へと発展した。 これによってチェコの国土は荒廃し、以降カトリック化とドイツ化が進んでいったとのこと。

 19世紀になり、ドイツ・ロマン主義の影響とフランス革命による自由と平等の思想による影響を受けたチェコの人たちは、チェコ文化の再生に情熱を燃やすようになる。 作曲家のスメタナが、音楽をとおしてチェコの民族の独立を促したのもこの頃である。 しかし1918年第一次世界大戦終了によってチェコとスロバキアは合体されたり、その後ドイツのナチス政権で合体解体の憂き目にあっていく。 そして第二次世界大戦終了後にはソ連主導で共産化が進み、68年春に新任の第一書記が自由化政策をとろうとしたとき、ソ連や東欧の軍事介入でその政策が挫折するプラハの春事件。 近世各国の侵略下で歴史を繰り返して、やっと89年の「ビロード革命」によって自由化された。Photo_2

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さて観光したところであるが、朝もやのひどい中プラハ城、聖ヴィート教会(右写真)へ、カレル橋を渡り、宇宙時計を見て旧市街で食事、みやげ物やさんへ行った。 まずプラハ城であるが、広大な敷地に旧王宮、聖ヴィート教会、修道院などがある。 プラハ城は9世紀ロマネスク様式で建てられはじめ、14世紀ゴシック,16世紀ルネサンス,18世紀バロック様式を経て 現在に至ったという建築史の博物館である。 聖ヴィート教会は14世紀にゴシック様式建てられはじめ、仕上げがバロック・ルネッサンス様式、鮮やかなステンドグラスを含め20世紀に完成した。 プラハは別名「建築の博物館」といわれるが、プラハには様々な時代の建築様式が残っている。 

 建築様式について少々かいつまんでおきます。 ロマネスク様式:10世紀ローマを中心に発祥した様式で、円形の教会などで白亜の建築資材が使われ、石造りでないので壁が1~2mと分厚く、窓が小さくできている。Photo_3

 また 12世紀頃からフランスを中心に広がったゴシック様式は、窓の外部が尖頭アーチで装飾され、窓ガラスにはステンドグラスが飾られている。 ゴシックの教会はアーチ壁を取り入れて高くすることができ、100mの高さに及ぶものもある。 プラハ城の聖ヴィート教会、カレル橋、この日の午後に行ったクトナー・ホラの大聖堂(左写真)などがゴシック様式の建築でした。 クトナー・ホラは銀の採掘が盛んに行われたところで、16世紀までチェコで第2の都市であったそうです。

 つぎにルネッサンス様式ですが、これは1516世紀中欧ヨーロッパで流行しました。 レンガが使われ、建物の窓は長方形、外壁は重ね塗りの絵で装飾されています。 第4日目に観光したチェスキー・クルムロフでお城などに多くこの様式が見られます。Photo_4

 つづいてバロックの建築は1718世紀に盛んであった建築様式で、彫刻や絵画で内部空間を複雑に飾りつけしています。 また楕円や曲線を多用し、派手な装飾が特徴で、ドームがたまねぎ型になっています。 プラハ城の後に行った旧市街にある聖ミクラーシュ教会(右写真)がこの様式の建築です。 

 最後にPhoto_5 ロココ様式は18世紀バロック様式の傾向を受け継ぎフランスで生まれたもので、植物の葉のような自由な曲線で、天井周りを飾り、壁と天井との境が明確でなくなるほどに飾り付けられているのが特徴。 大規模なバロック宮殿ではなく、小規模なサロンを繊細に飾りつけるのが基調となっている。 飾り付けの多い近代的な建物です。 プラハ旧市街にあるゴルツキンスキー宮殿(左写真)がロココ調とのことです。

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 話を観光に戻すと、広大なプラ ハ城・聖ヴィート教会へ行き、その丘からプラハを一望した後、丘を下りヴルタヴァ(モルダウ)川にかかっているカレル橋を渡りました。 14世紀神聖ローマ帝国皇帝カール4世のときに作られたヨーロッパ最古の石造りの橋。 この橋の両側には30体のバロック様式の彫刻が並べられている。 その像の中のひとつにネポムツキー像(右写真)というのがあり、その台座の光っているところに手を触れるとご利益があるとのことなので、わたくしも触れてきました。Photo_7

 橋を渡り下ったところに旧市街広場があって、旧市庁舎の時計(左写真)の前に、丁度12時であったので大勢の人が集まっていました。 12時になるとその時計台の一番上の窓から数体のお人形が出てきて音楽に合わせ踊る。 人形の窓の下には天文時計があり、昼夜の長さが色で分かるようになっていて、昼夜の長さは変化するようになっているとのこと。 この時計1410年に作られたというのですから恐れ入る。 旧市街で食事をし、ボヘミアングラスの店に行ってから、旧市街でしばし写真を撮って、それからクトナー・ホラへと向った。

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